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2013年3月25日 (月)

Ⅳ号戦車の転輪に関する傾向と対策:前期型編その①

 前回に続き今度はゴム幅75㎜の前期型転輪に関する考察です。

本題に入る前に前回の記事で掲載した図の改訂をば。

20130325a
・リムBとプレスパーツCの位置関係を修正(Cを少し奥まった位置に)
・タイヤゴムとリムBのかみ合うホゾの本数修正
・前期型の接地幅を55㎜に変更
・グレーの三角はホイールに付く八つのプレスリブを示しています。

 前回記事でのかば◎さんのコメントにもあったように、リムBとプレスパーツCの位置関係はCがもう少し奥まった位置に来る方が、よりらしいので修正しました。あくまで実車パーツの写真を見ながらの目分量です。リムBとゴムタイヤがかみ合うほぞの本数ですが、後期型はやはり五本、それもリムの両サイドに一本ずつが正解のようです。先日のヴィルベルヴィントの写真では塗り直されたペンキの具合でイマイチ判り辛かったのですが、GP誌2003年4月号に掲載されている「英軍の対戦車手榴弾テストに供されて壊れたG型の転輪」の写真[1]で、より明瞭に判別する事ができました。もっともこんなディテール、ジオラマでゴムが焼けた転輪でも着けようとしない限り役に立たない情報ですがw。なお確認出来たのはあくまで後期型だけで、前期型の方は推定の域を出ていません(一本少ないように見える写真も無くは無い)。それから前期型のゴム接地幅は55㎜に変更してみました。後期型のゴム幅が70-90なら、前期型も55-75の方が自然かも、ということと、DML・トライの転輪の幅を図って逆算すると近似的には55の方が近かった、というのが根拠です。もちろん確たる証拠があるわけではない、とお断りしておきます。

 では、今回の本題~前期型の転輪はどこまで各型共通だったのか、です。以下、A型から順を追って考察します。

Type1:A型製造当初の転輪

20130325b
・ゴムタイヤ外側のテーパーがきつく、最大幅が後の型より大きい
・センターハブに二本の継ぎ目が見える写真がある

 Ⅳ号戦車製造開始当初の転輪は、ゴムタイヤ断面のテーパーがかなりきつく、従ってホイールに接するリング内側の最厚部は目立って突出しています。合わせてリムAの幅も広いものが用いられています。シュピールベルガーにもトラツクにも特にコレに関する言及は無く、トラツクではタイヤサイズを他の型と同じ470/75としています[2]が、明らかにこれは誤りでしょう。DMLから発売されたA型のキットでは、既にB~E型のキットに付属している一般的なゴムタイヤパーツとは別に、このinitial modelのタイヤパーツが16本セットされています。16本というのは転輪の数と同じなので?と思ったのですが、どうも外側のみという解釈のようです。上の図はfig.1の左側をたたき台に描いたもので、他に資料も無い為ゴムの最大幅はDMLのキットパーツから逆算して95㎜とし、同じくキットに倣って一応外側のみテーパー付きとしました。ただし、DMLがどのような根拠、資料に基づいているのかは判りません。少なくとも手元の資料やネットで拾える写真からは、この解釈が正しいのかどうかのウラはとれませんでした(というのもこのタイプの予備転輪を載せた写真ってのが皆無なんですよね)。
 もう一つ気になる点として、このタイプのハブには接合線に見えるラインが二本観察できます[3][4]。外寄りのラインがキャップとホイールの継ぎ目なら、内寄りの一本はホイール本体を組み立てた際の溶接ライン、でしょうか。
 なお各種写真を漁った感じでは、基本的にこのタイプの転輪を履いているのは戦前だけで、少なくともポーランド戦時にはテーパーのとれたお馴染みの転輪に変わっている模様です。Ⅳ号戦車の転輪はゴムだけ交換する構造にはなっていないハズですので、消耗につれて順次後発のパーツに交換されたのでしょう。

Bundesarchiv_bild_146197005041_ansc Attribution: Bundesarchiv, Bild 146-1970-050-41 / CC-BY-SA

見えてる8つ全てType1の転輪を履いた例。1938年10月、ドイツ国内。

Bundesarchiv_bild_101i012001620_pol                        Attribution: Bundesarchiv, Bild 101I-012-0016-20 / Kliem / CC-BY-SA

ポーランド戦ではご覧のとおり。

Type2-a:B~C型の転輪

20130325c
・基本的にType1から外側ゴムのテーパーを除いたモノだと思われます。後述する2パターンとの違いがかなり微妙なので、便宜的に亜種の意味で-aとします。

Type2-b:C型の一部に見られる8か所溶接転輪

20130325d
・リムとプレス部分の接合個所が明瞭に8つ確認できる。
・リムとプレス部分の位置関係がほぼツラ一である可能性がある。
・C型の一部限定?

 fig.3の転輪と一見良く似ていますが、リムBとプレスパーツCとの溶接が均等に八か所で行われています。今の所、資料本の中からはっきり確認できる写真はシュピールベルガー本の二点のみ[5]で、C型の一部にしか使われなかった可能性が高いと思われます。ただ、特にそのウチの「ギリシャで撮影された第2師団の623号車」では、右側第一転輪だけがこのタイプなのに対し第二転輪以降は異なることから、限られた数製造されたマイナーバージョンとして存在していた事は間違いないと思われます。

 余談ですが、この「混ぜ履きしてる個体」というのは違いを確かめるのに重要です。撮影場所も条件も異なる二個体の写真を幾ら比べても、写真のマジック、目の錯覚、という可能性は否定しきれません。しかし一枚の写真中の同一個体内であれば、厳密に考えてもレンズからの距離と撮影角度にわずかな違いがある程度なので、混用しているパーツの相違を議論するのにはもってこい、というかそういう写真じゃないとハッキリした事が言えないというか。

 話を戻すと、この八か所溶接転輪、他にプレスパーツCの外縁部とリムA・Bがほぼツラ一になっている気がします。というのも、普通リムとホイールの溶接ポイントなんて、陰になって判らんのですよ。博物館のクローズアップ写真でも見ないと。それがハッキリわかるってのはね、多分そうじゃないかと。ま、でもあくまで気がするだけなんで、自信持って言えないんですけど、上の図は一応そこを意識して描いています。いずれにせよ、Ⅳ号もこの辺りはまだまだ細かい試行錯誤が続いてたという事でしょうね。

Type2-c:D型の転輪

20130325e

・基本的にType2-aと殆ど同じだが、ハブキャップが薄く、それでいてキャップを含めたハブ全体の高さが若干高いような・・・

 ある意味今回の目玉というか、問題提起。アレコレ写真を見比べて感じるのですが、どうもD型の転輪のハブって、C型までのそれより出っ張り具合が大きい気がします。ハブキャップの厚みも薄いような。fig.5はその辺を意識してfig.3から改変した物です。ハブキャップの厚み(図中a)とホイール側ハブ円筒の厚みというか高さ(図中b)は、写真[6]からの推定で概ね1:5くらいだと思われます。このタイプはクリアーな写真からハブのホイール側には継ぎ目や段差が無い事は確認できますので、少なくともType1のハブとは意匠が異なることは確かだと思います。仮に実際にハブの高さが違うとして、車体側面からハブキャップ先端までの距離がより大きくなった可能性と、ホイールの“すり鉢”が深くなってる可能性と二通り考えられますが、まぁ実際に計測でもせんかぎり流石に判断付きませんので、上のfig.5では一先ず前者として作図しています。
 

 このType2-aと2-cの違いを客観的に検証するのもとても難しいです。上の話と同じく、個別の写真で比較しても確証的とは言い辛い。加えて撮影時期の問題もあって、D型が実戦配備されるフランス戦以降の写真ではA~C型も順次同じ2-c型の転輪に交換しているようで、要は1,2-a,2-bの使用時期はかなり短いように思われます。従って両者の違いを確認するには「1939年末から40年頭くらいに撮影された、混ぜ履きしてる個体の写真」を探さないとイカンのですw。今の所、この条件に当てはまりそうなのはトロイカ本にある一枚だけ[7]なんですが・・・・どうぞこの記事を読んだ皆さんも、暇な時にお手持ちの資料本の中から条件に合いそうな写真が無いか確認してみてください。

Bundesarchiv_bild_101i055159931_fra                              Bundesarchiv, Bild 101I-055-1599-31 / Eckert, Erhardt / CC-BY-SA

この写真なんかは典型的にType2-cだけで固めてますな。フランス戦にて。

Type3:E型の転輪

20130325f
 E型転輪とD型転輪の違いは、どの本にもハブキャップの仕様変更という記述があるので周知の事実だと思いますが、一応補足しておくと、ホイール本体も規格が変更になっています。まぁハブキャップの固定方法が変わってるから当たり前なんですが、ホイール本体側のハブ円筒部の高さも低くなってるハズです。もう一つ気になる点はハブキャップの仕様です。E型用のハブキャップは見かけ上、同じ中期型の鋳造パーツでもF型以降の後期型転輪用のそれとは縁の厚みが倍近く厚いように見えます。D型の転輪がホイール側の円筒の高さで突出しているのに対し、E型の転輪はキャップの厚みで突出している(ように見える)点がポイントです。仮にこれがキャップ単体の厚みであれば、F型以降のものは転輪幅自体が拡張された分を吸収して薄くなった、と解釈することが可能でしょう。ただし、写真によっては、キャップの縁に継ぎ目のようなラインが見えるものと見えないものがあります[8]。これが鋳造パーツのパーティングライン(の可能性もあるとは思いますが)ではなくパーツの継ぎ目なら、ホイール側のボルト受けの部分がわずかに太くなっているだけ、とみることも可能で、実はシュピールベルガー本のドイル図ではそのようなパーツ構成になっています。この場合、ハブキャップに限ってはF型以降のものと共通規格とみなせるかもしれません。上のfig.6では、上半分は余計な線が見えない、あくまでキャップ自体が厚いパターン、下半分はドイル図準拠でキャップの部分が分割になっているパターンを描き分けてみました。

Type4:謎のハイブリッド転輪

20130325g_2

 ここでもう一度、冒頭に掲載したのと同じ図から左の75㎜幅の方だけ抜き出して掲載します。合わせて前回にもリンクしたムンスターのⅣ駆Oの画像を引用しておきます。前回の記事にいただいたかば◎さんのコメントにあったように、この転輪は例えばE型やD型の転輪に比べてハブの突出が小さい。Ⅳ駆Oではハブキャップが中期型ですが、隣の後期型転輪と違いはありません。実はこの転輪、そもそもハブ以前にリム部の仕様がおかしい。リムAとリムBの位置関係が逆転してるでしょう?要するにコレ、後期型転輪用のホイール&リムBに前期型用の75㎜ゴムタイヤとリムAをはめ込んだハイブリッド仕様ですよ、多分。
 それに気が付いた時点でレストア用のでっち上げパーツの可能性を真っ先に疑う訳です。Ⅳ駆Oはムンスターに来る前はソミュールのバックヤードに転がってたハズ[9]なので、同じくソミュールのメーベルワーゲンと同じ出所のレストアパーツを使っても不思議はありません。でっち上げパーツというのが言い過ぎでも、別々の所から見つかった前期型タイヤと後期型ホイールを合成して後から作った・・・という可能性はあり得ます。
 そこで手持ちの資料の中から、戦時中の写真でコレと同じパーツを使っている例が無いかどうか、片っ端から探してみました。すると、これまた一枚だけ、Panzer Wrecks vol.4に掲載の「終戦時に米兵の記念写真の玩具にされるガスボンベ仕様(?)の改造D型」の写真に、言われてみればコレと同じに見えるようなモノを発見[10](小さいですがこのページの四枚目の写真)。例によって写真映りなどの問題で確証を持って言える程ではないのですが、手持ちに御持ちの方は確認してみてください。リムの出っ張り具合が通常の転輪とは逆転しているように見えると思います。もし目の錯覚でも写真のイタズラでもなければ、もしかしたら大戦末に不良在庫の前期型タイヤを再利用するつもりで造った補修用のイレギュラーパーツだったかもしれませんね。

 という訳で、Ⅳ号戦車前期型の転輪は少なくともA初期型、B~Dの通常型用、Cの極一部型用、E型用、ナゾハイブリッド型、5パターン存在します。加えてB~D用がB・C用とD用に区別できる確証がえられるかどうかが今後の課題です。でもって、今回は傾向と対策と銘打っておきながら対策を書く余裕がなくなっちゃいましたので、D型用の標準転輪についての工作は次回に。

引用文献

[1]『月刊グランドパワー No107 2003年4月号』ガリレオ出版 2003 p101

[2] Thomas L. Jentz, Hilary Louis Doyle『PANZER TRACTS No.4 Panzerkampfwagen IV』Darlington Productions 1997 p18

[3]『月刊グランドパワー No60 1999年5月号』ガリレオ出版 1999 p10(ほか、多くの出版物で見られるクルップ・グルゾン工場でロールアウト直後のA型を撮った一連の写真)

[4] Thomas Anderson『History File 003:Pz.Kpfw.IV short-barrel versions』Auriga Publishing Int. 2007 p15(写真No16の第一転輪)

[5] Walter J.Spielberger, Hilary Louis Doyle, Thomas L. Jentz『Panzerkampfwagen IV and its variants 1935-1945 Book2』Schiffer Publishing 2011 p117,126(ウチ、623号車の写真は後者)

[6]『ピクトリアル 北アフリカのドイツ軍』サンデーアート社 1992年 p7(トリポリに上陸した第5軽師団の隊列を撮った一連のカットの一枚。特に824号車のエンジンデッキにのる予備転輪。同じ写真は複数の出版物に観られるが、手持ちでは本書がもっともクリアー)

[7] Waldemar Trojca, Karlheinz Munch『Pz.Kpfw.IV Ausf.A - F at War』Model Hobby 2006 p30(ここに掲載のB型の写真で、第二・第五転輪がType2-a、残りがType2-cに見えるのですが・・・)

[8] Walter J.Spielberger, Hilary Louis Doyle, Thomas L. Jentz『Panzerkampfwagen IV and its variants 1935-1945 Book2』Schiffer Publishing 2011 p152(ほか、これも複数の出版物に掲載のE型のファクトリーショット。左第一転輪と第二転輪の違いに注意)

[9] 梅本弘,小林源文『パンツァーズ・アット・ソミュール No.1』大日本絵画 1992

[10] Lee Archer, William Auerbach『Panzerwrecks 4: German Armour 1944-45』Panzerwrecks 2007 p30,31

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コメント

深い! いやあ、でも面白い! 読んでいてワクワクします。
……いやまあ、それは病膏肓の証なのだとしても(笑)。

ところで、これはまるっきり、テキトーな思い付きなのですが、D型時点で既に将来の増厚型転輪への対応を見越して、転輪の車軸自体が若干長くなっており、その分、転輪のハブキャップ部分が突出している、などと妄想してみたのですが、どうでしょう(妄想というより暴走?)。

いやまあ、転輪を引っこ抜いて軸の長さを実測してみないことには判らないでしょうし(そもそもC型以前の現存車輌ってありましたっけ)、D型以降でも「薄くてハブも突出していない転輪」を履いている例があったりすると、たちまち可能性が激減する説ですが。

投稿: かば◎ | 2013年3月25日 (月) 22時22分

ところで、「新型転輪に旧型ゴムリムの余り物を装着」と聞くと、私はどうしても、T-34の1942年型の最初期型、いわゆる「ラミネート砲塔」の転輪(第2~第5転輪)が思い浮かびます。

あれって、BTのゴムリムの再利用なんじゃないかなあ、と思ってるんですが、どうでしょう。

投稿: かば◎ | 2013年3月25日 (月) 22時27分

さっそくコメ有難うございます。
>見越して、
いや~、どうでしょうね~。各タイプの混ぜ履き(1と2a、2aと2c、 2cと3、 3と後期型)は確認できるので、ボギー側の軸はAからJまで一貫して同じ(多少の仕様変更はあるにせよ基本サイズは)なんじゃないかと思うんですがね。
兎に角、B~C型の出来立てほやほやで足回りのクローズアップでしかもキャップの厚みとハブ本体の高さの比率が割り出せそうな、そんな写真がどっかに転がってないかな~、というのが目下の課題です(^-^;
(実はat frontのvol.1を取り寄せたけどダメでした)。

>BTのゴムリムの再利用
そういやそんな話ありましたね。案外似たような話かも。戦略物資でドイツでもソ連でも節約対象でしたから、あって不思議はないと思います。

投稿: hide | 2013年3月25日 (月) 22時55分

ああっ、しまった。

そもそも前回例示されていたメーベルと四駆の現存車輌の両方ともが、「ハブの突出していない方の薄型転輪」を履いているんでしたね。迂闊だ……。

しかしそうなると、わざわざハブを飛び出させる必然性がどこにあったのかますます不思議です。

ベアリングが新しくなって、それに対応して新しくする必要があったとか、キャップの止めに不具合があって、ガッチリ止めるために受け部に余裕を取ったとか……かな? もっとも、考えて解決する話でも、仮に判ってもそれでどうという話でもないんですけれど。

投稿: かば◎ | 2013年3月26日 (火) 14時28分

ドイルの断面図だと初期ハブと中・後期ハブの軸で違うのは先端部分だけなので、多分グリスがらみで改良したかったんじゃないかと思います。油回りが良くなったとか、油の量が節約できるようになったとか。例えば初期ハブは中が全部グリスで充填されるような構造かな、と(そう言えばホイールとの継ぎ目がぐるっと変色してるような写真もチラホラあります)。ハブの高さが変わってグリスの回りが良くなったとか。で、中期型はピンポイントでベアリングの中へ注入できる、とか。だから履かせるだけなら可能だけど、みたいな感じじゃないでしょうか。
や、全部憶測ですけどね(^-^;

投稿: hide | 2013年3月26日 (火) 18時37分

ドラゴンのA型自体、まだ買っていないので(でもそのうち買いそう)、「戦前型転輪」の存在は全然知りませんでした。

「極端に内側が厚い台形断面」というと、考えてみればIII号の8転輪型もそんな感じがするので、ゴムの材質の問題もあるのかも……あ、でもI,II号は全然そんな形になってないか。

AHFはよくご覧になっているようなので、すでにご存知かと思いましたが、A型で新旧混ぜ履きしているらしい写真をひとつ。

http://forum.axishistory.com/download/file.php?id=292735&mode=view

投稿: かば◎ | 2013年4月 5日 (金) 19時29分

この写真でも判りますけど、A型は上部支持輪のゴムも肉厚なんですよね(ドラはしっかり再現)。強度的なものを過剰に見積もってたのかもしれません。材質に不安があったという可能性も面白いですね。結局もったいないからシェイプアップしたんでしょうけど。

実はこの上部支持輪の厚みの話も、その昔E型の起動輪の話と前後してMGに投稿したんですが、こっちは採用されませんでした(アハパン第三集の少なくとも初版には載っていません)。時が流れてそれがインジェクションキットに反映されようとは、感慨深いものがあります。

投稿: hide | 2013年4月 6日 (土) 01時03分

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